母と娘の距離感を考える

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こんにちは、オオトリです。

〈母と娘〉と聞いて、みなさんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。

一緒に買い物へ行ったり、娘が大きくなったら母親から化粧の仕方を教えてもらったり、仲の良い親子というイメージもあるかもしれませんね。

ですが実際はそんなほほえましい関係でもありません。

かくゆう私も母とはなんとなくわだかまりを感じて過ごしてきました。

特に自分が子育てをしていると、自分の中にある母親から受けた影響というものをまざまざと感じることがあり、嫌悪感やら絶望感やらで苦しむことが何度もあります。

今回は〈母と娘〉について自分の気持ちを整理する意味合いも含めて書いていこうと思います。

自分語りのようになってしまいますが、お付き合いいただければ幸いです。

うちの母娘関係

母と娘が手をつないでいる画像


母についてはおだやかとか優しいという印象はありません。

何事も型にはめたがるような融通の利かない人で、いつもせかせかしていました。

母はフルタイムで仕事をしていても料理はすべて手作り、家事をしっかりこなすそつがない人でした。

今思うと純粋にすごいなあと思いますし、とても私には真似できません。

子どもの授業参観や運動会などの学校行事には必ず出席し、オープンキャンパスなども一緒に来てくれました。

親としての義務は果たす人なんです。

母から暴力を振るわれたことはありません。

言うことを聞かなくて外に出されたことはありますが(笑)

育児放棄もありませんでしたが、言葉や態度で子どもを批判してくるような人でした。

また子どもの頭をなでるなどのスキンシップを図るような人ではなく、教育費などのお金を出すことが愛情だと思っている節があります。

これも愛情のひとつだとは思うのですが…。



対して私は常に不安を感じている子どもでした。

今思えば、母とのスキンシップや共感の言葉などで安心感がほしかったんですよね。

私は母に甘えたいんだけど、母はそれを望んでないと感じていたので母に近づくことを我慢していました。

なんとなく空気を読むことには長けていたのです。

もちろん「同じクラスの◯◯くんが好きなんだ」という恋バナなんてできません。

そういうことを言える母娘関係の友人が羨ましいと感じたことを覚えています。

常に母の顔色をうかがい、母の言うことはイエスで答えて行動していました。

そして自分がどうしたいのかわからない、自分で考えて行動することができない人間ができあがっていったのです。

・学生の頃から成績優秀
・協調性はない
・子どもには手をかけるよりお金をかける

娘(私)

・いい子ちゃんタイプ
・物心ついた頃から母の顔色をうかがっていた
・母に甘えたい、寂しがり屋



母の影響


我が子を育てるようになってから母の影響というものを強く感じることがあります。

まず子どもへのスキンシップをどうすればいいのかわからないのです。

どう行動すればいいのか思考が停止してしまい、途方に暮れてしまうことも多々ありました。

幼い私はあれだけスキンシップがほしかったのに…。

自分の子どもにあの頃の私と同じ気持ちにさせてしまっているのではないかと不安になります。

そしてこれが一番ショックでした。

ある件で母と揉めた時、母の言動で私は円形脱毛症になってしまったんです。電話のやりとりだけで。

まさか身体に症状が出るほどのストレスとは思っていなかったのでびっくりしましたし、自分にとって母の影響力が大きいことを思い知らされました。

成人して自分も家庭をもっているのに。

私は未だに小学生の頃のままなのかもしれないと心細くなったのでした。

私の性格は母のせい?

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例えば私は相手に自分の気持ちを伝えることが苦手です。

これは幼少期から親の顔色ばかりうかがって自分の意見を押し殺していたことに起因しているのかなと思っています。

どうして自分はこうなんだろう。

なんで自分の気持ちを言えないんだろう。

喉元まで言葉は出かかっているのに、ストッパーがかかってしまって声に出せなくなるのがもどかしい。

悔しくて涙が出る時もありました。

ですが親のせいばかりにしていても先に進まないんですよね。

「親が悪い」と言ってしまえば、後は考えずに済むので楽っちゃ楽なんです。

でもなんの解決にもならないんですよ。

それよりも“どうすれば自分の気持ちを相手に伝えられるか”を考えて行動したほうが自分にとってプラスになるし、「なんとかなった」「乗り越えた」と自信につながる気がします。

親のせいにしてみても

私の周りに「親のせいで自分はこうなった」と言い続けている人がいるんですが、傍から見るとその人の時間ってそこでずっと止まっていて前に進めていないんですよね。

今(現在)を楽しもうとせず、ずっと後ろ(過去)を見て足を止めている印象を受けます。

親のせいで今を楽しめていないとこぼす姿は、例えて言うなら今カレがいるのにずっと元カレを想い続けているような…。

それってすごくもったいないように思いますし、周囲もなんと言ってあげればいいのか困ってしまいますよね。

この人を見ていると私はこうはなりたくないと感じます。

なので相手に自分の気持ちを伝えることが苦手な性分も親のせいにはせず、自分の課題として克服していければいいなと考えるようになりました。

時間はかかるかもしれませんが、30代に突入してからの宿題です。



それでもモヤモヤする時は


母娘関係についてモヤモヤする時は、人に話したり本を読むのがおすすめです。

人に話す

人に話すことがいいなと思うのには2つ理由があります。

① 言葉にして吐き出すことで心の中のモヤモヤが軽くなる。

② 話していくうちに自分の気持ちも整理できて、頭が冷静になってくる。

話す相手は気の置けない友人でもいいですし、仲が悪くないのであれば兄弟姉妹にグチってもいいと思います。

「身近な相手は嫌」という方はカウンセラーに話すのも後腐れがなくて楽ではないでしょうか。

私の場合はお互いちょっと独特な母親をもつ古い友人だったり、姉妹に話します。

特に姉妹とは「私たちの母親はそういうところあるよね」と同じ家庭で育ってきたからこそ共感することが多々あって、姉妹の存在をありがたく感じることも多いです。

そう思っていたのは私だけじゃないんだと思えると気持ちがラクになりますよ。

他人が書いた本やブログを読む

母と娘の関係性について書かれた書籍はたくさんあります。

全く同じとはいかなくても、同じような境遇を体験した人の言葉にはなにかヒントがあるかもしれません。

ここでは私が読んで影響を受けた本を3冊ご紹介します。

愛すべき娘たち

よしながふみさん著書「愛すべき娘たち」。

これは大学生の時に初めて読み、今でも時々読み返しています。

その中で印象に残っている言葉があるのでご紹介します。

「母というものは要するに一人の不完全な女の事なんだ」

よしながふみ著/愛すべき娘たち p.199



子どもの頃は親って絶対的な存在だし、完璧な人間だと無意識に思っていました。

でも違うんですよね。

だって今親になっている自分だって完璧じゃないもの。

母だって不完全な人間なんだ。

そんな当たり前のことに気づくことができました。



毒になる親 一生苦しむ子供

すっかり定着した「毒親」という言葉をつくったスーザン・フォワードさんの著書です。

これは成人後に読みました。

母は完璧な人間じゃなかった。

だからこそ母なりに精いっぱいやっていた。

仕事と家庭の両立にイライラして、私にあんな言動をしていたのかもしれない。

私だって自分がいっぱいいっぱいの時は周りに当たることだってある。

しょうがないよね、完璧な人間じゃないんだもの。

だったら母を許してあげなきゃ。

許せばきっと私の心も平穏になる。

書いていていい子ちゃん丸出しだなあと感じますが、私は本気でそう思っていたんです。

だけど「毒になる親」を読んで考えが変わりました。

この本には親を無理に許す必要はないと書いてあるんです。

許さなきゃいけないと思ってた…



様々な過程を経て自分が納得したうえで親を許すという選択をするのはいいんです。

問題なのは自分の中にある親に対する怒りや悲しみを直視せずに、安易に親を許すという結論を出してしまうこと。

自分の気持ちがおざなりになってしまって結局モヤモヤを繰り返すそうなのです。

親を「許した」と言っている多くの人たちは、本当の感情を心の奥に押し込んでいるのに過ぎず、そのために心の健康の回復が妨げられていたのである。

スーザン・フォワード著/毒になる親 p.199


これでは根本的な解決にはならず、いつまで経っても自分が苦しいままですよね。

この一節を読んで「そっか、私は母を許さなくていいんだ」と変な義務感から解放されたのを覚えています。

スーザン・フォワードさんのカウンセリング経験に基づいた言葉には説得力があり、解決のヒントのようなものを提示してくれます。

親との関係にモヤモヤを感じる方にはぜひ読んでほしい一冊です。



結局、心に従った方がうまくいく

母からは(精神的なものに関して)負のものしかもらってないといじけていた私ですが、そうではなかったと気づかされた書籍をご紹介します。

著書であるヒロコ・グレースさんはライフコーチや女性起業家プロデューサーとして活躍されており、彼女のもとにはいろいろな女性が訪れます。

その中でお金持ちの家に生まれたSさんは「◯◯家の娘」としてしか見られないことが嫌だったそうです。

「ふつうの女性」になりたくて起業したけれど、心にモヤモヤが残ってなかなかうまくいきません。

そんなSさんにヒロコ・グレースさんはこう言います。

「親から受け継いだ、その家柄に生まれたからこその高級感のある気高い雰囲気、美しい所作、凛とした気品こそがSさんの価値の一部なんだよ」

ヒロコ・グレース著/結局、心に従った方がうまくいく p.69



ヒロコ・グレースさんの言葉にSさんは自分の強みを認識し、仕事もうまくいくようになったそうです。

この出来事を読んで「そうか、親にもらったものもあるんだな」と気づかされました。

私は小学生の頃から「ちゃんとしてる」「礼儀正しい」「お嬢様(いいとこの子)」と言われ続けてきました。

(実際はそんなことないんですよ。外面はいいタイプなんです。)

周囲からそう見えるのは母や父の教育のおかげなんだろうなと思います。

特に大人になってから上記の印象に見えるのは得することもあったりするので、これは親からのプレゼントなんだと思えるようになりました。

そう考えると親の影響というのは悪い面もあればいい面もあるんですよね。

結局、心に従った方がうまくいく」を読んで母からもらっていたものに気づくことができました。



そんなこんなで 


ほんとう、ここ3年くらいの話ではありますが、母に対して「私はあの時お母さんにこう言われたことがイヤだったんだよね」と言えるようになりました。

心臓はバクバクしていますが(笑)

何十年越しの自分の気持ちを母に伝えています。

ずいぶんと時間は経ったけれど、自分の中にため込んでいた気持ちを母に伝えていくことでちょっとすっきりしていくような気がします。

母もあっさりしたもので「あ、そうだったの。ごめんね。」と悪びれることなく言います。

子育てのプレッシャーがなくなり、年をとるにつれて母も丸くなってきているんでしょうね。

ちょっと拍子抜けしますが、まあこれはこれでいいのかな。

これが私たちの母娘関係なのでしょう。

そして現在

それでもやっぱり、母と一緒にいると母の言動を気にするクセが抜けずにいます。

これは30何年培ってきたものなので早々に解消できるものでもありません。

自分の心の安寧のためにも、とりあえず母とは物理的に距離をとるのが手っ取り早いです。

現在は実家から車で1時間の距離に住んでいるので母の存在を感じることもなく、気楽に過ごせています。

母とは3~4カ月に一度、1~2日間会うくらいがちょうどいいと思う今日この頃。



でもいざ困った時には電話で相談したりしてアドバイスをもらいます。

今後親の介護などがあればまた変わってくるのでしょうが、現状はこのくらいの距離感がちょうどよく感じます。

さいごに

白い花束の画像


今回は母と娘の距離感について書いていきました。

少しでもいいので、この記事が読んでくださっている方のヒントになれば幸いです。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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オオトリ
ひとりの時間をこよなく愛する二児の母。 ものぐさな性分なのでていねいな暮らしはできないけれど、自分が心地よく過ごすためのちょっとしたことをまとめています。